このコーナーでは、

県内外でエシカルに積極的に取り組んでいる様々な方を紹介します。

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 名称の「エシカリアン」は、嶋矢志郎様から許諾を得た上で使用しています

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No.9 OWADA創林株式会社 小田和人氏インタビュー


小田 和人(おだ かずひと)氏

OWADA創林株式会社 代表取締役、いせしま自然村村長

 

●プロフィール●

「森から海へのつなぎ人」をキャッチフレーズに、山を元気にし、海を豊かにするために、

鳥羽市を拠点に森の間引きや間伐、雑木林の再生事業に取り組む。

2010年 三重県バイオトレジャー認定

2012年 農林水産省ボランタリー・プランナー任命


Q、「森から海へのつなぎ人」を掲げる小田さんですが、森林保全に携わるきっかけはどういったことだったのでしょうか?

A、今から約20年前に「備長炭を使った特産品を作る」という仕事をしていたのが最初のきっかけです。その時訪れた山の木々はすでに育ちすぎていて、

  山も荒れていました。その後ラーメン屋や焼き鳥屋など全く異なった仕事をする間もずっと山のことは気にかかっていました。

  一時体を壊して入院している間もいろんなことを考えました。「山を何とかしたい」と本気で思ったのはその時です。

  それからはただがむしゃらに突っ走って、周囲の方々の手助けもあって何とかODAWA創林株式会社を設立することが出来ました。

  仕事で山に入るたびに思うのは、鳥羽の海が豊かにするには、元気な山と川があってこそということです。

 

Q、鳥羽と言えばやはり海の印象が強いですよね。その海が豊かになるのは山があってこそという観点についてもう少し詳しく教えていただけますか?

A、木が生い茂った状態の里山の雑木を間引く「間伐」を行うことで、森は元気を取り戻します。そのままでは草も生えずに表土が剥き出しとなっているか

  細い木が密集した暗い森を適切に間引くことで、木々の隙間から日光が差し込むようになります。その結果下草が生え、それが動物たちのすみかとなる。

  木が生い茂った森は葉を伝って大粒の雨粒が地面に落ちるので表土が流出してしまいますが、手入れの行き届いた森には小粒の雨が柔らかく地面に 

  触れるので水が地面に蓄えられるんです。腐食土層が堆積することでまた森の栄養が育まれます。こうして栄養分が豊富になった森の水が川に流れ、

  海へと運ばれることで、豊かな藻場ができ、魚介類が育ち磯焼けも防がれます。これが豊かな自然本来の持つ機能なんです。栄養が豊富な森には

  動物たちの食べ物も増えるので、シカやイノシシが人里まで降りることも少なくなります。薪や炭が身近な生活の中で使われなくなった現代だからこそ、

  森の現状や森に手を入れる大切さを知って欲しい。そういった思いで林業に取り組んでいます。

 

Q、薪や炭などが普段の生活で使われることが少なくなった現代では、間伐した木材をどのように消費していくかということが各地においての

  課題となっていますね。ODAWA創林株式会社ではどのような形で間伐材の消費を提案されているのでしょうか?

A、弊社で間伐したウバメガシ※1などの木材は、鰹節の製造工場や伊勢神宮のおかげ横丁内の釜戸を使う店舗などで使用されています。

  その他、ピザ釜やバーベキュー用の薪としても販売しています。昨年末には、ウバメガシの間伐材を使いながら森の大切さを体験してもらおうと、

  体験施設「いせしま自然村」(伊勢市横輪町)をオープンしました。森の間伐や木材を使った薪割り、薪を使ったピザ作り、釜戸での料理体験などを

  通じて、人と森とのつながりを感じてもらえればと思っています。

 

Q、ただ森を間伐するだけではなく、その木材をいかに資源として循環させるかという意識は大切なエシカルですね。これまでお話いただいた

  「森から海へのつなぎ人」というコンセプトを実現していく上で、今後の事業展開などについてお聞かせください。

A、まず、皆さんに森の役割を知って頂き、自然はつながっているということを感じて頂くような活動に力を入れていきたいと思っています。

  その一つが「いせしま自然村」です。今後は、地域と連携しながら、第2、第3のいせしま自然村を鳥羽・志摩地域に広げていきたいですね。

  山に囲まれた横輪町では森と人とのつながり、鳥羽では海と人とのつながりというように。それと並行して、森の整備と美しい里山作りを進めていきたいと

  思っています。森林の整備が土壌を良くし、海や川の栄養分を高めて豊かな漁場を作る。間伐とその間伐材を有効利用することで新しい産業と雇用を

  生み出すなど、森には無限の可能性があります。それを一つずつ、また複合させながら実現させていきたいと思っています。

 

※1良質な備長炭の原料となる、雌雄同種の高木の常緑広葉樹。大きいものは高さ18メートルに及ぶ。

No8.山里民泊みくりオーナー 中江美春・斎氏インタビュー


中江 斎氏・美春(なかえ ひとし・みはる)氏

山里民泊みくりオーナー

 

●プロフィール●

結婚後、斎氏の生家である三重県大台町栗谷に居住する。過疎の進む地域の活性化に努め、平成16年5月、地元有志と「夢楽 憩いの館」をオープン、運営に当たる。二年後の平成18年10月、自宅の空き部屋を利用し「山里民泊みくり」をオープン。自然を活かした体験メニューはお客様からも好評、リピーターも多い。


Q、三重県初めての民泊を開業され、体験施設「夢楽 憩いの館」の運営にも中心的な役割を果たされるなど、

  この地域の活性化に力を注がれておりますが、どのような経緯で始められたのでしょうか?

 

A、元々は、過疎の進む大台町栗谷地区で、みんなが気軽に集まれるような場所を作りたいという思いが始まりでした。

  公民館などのような公の場ではなく、毎日気の合う仲間が集まって話をしたりお茶を飲んだりできる場所のことです。

  そこから話が進む間に、ではどういう形がいいのか、道の駅のような大型の施設が良いのか、それとも自分達だけで運営できる

  規模で、より地域に密着した形のものが良いのか多くの案が出ました。議論を重ねたうえ、

  平成16年5月に地元住民の交流の場としてオープンしたのが「夢楽憩いの館」。

  それから2年後の18年10月には、自宅の空き部屋を利用して、「山里民泊みくり」を開業しました。

 

Q、「夢楽 憩いの館」はどういった施設なのですか?

A、当初は会員のための家、集会所といった位置づけですね。その後、人々が集まるにつれ、自分達ができることを活かした

  体験施設へと変わっていきました。例えばそば打ちであったり、ホウノキを使った団子であったりというごく身近なものです。

  新しいものを始めるものではなく、今自分達にできることをそのまま体験メニューとしたという感じです。

  その取組が外部の人々にある程度受け入れられると、それなら今度はツリーハウスを作ろうという意見が自然と出てきたり、

  食事を出してほしいというリクエストが生まれてきました。それらを叶えながら現在の形へと繋がっています。

  ただ、現在になって新たな問題も生じてきています。

 

Q、今までのお話では順調に見えた「夢楽 憩いの館」の運営ですが、どのような問題が起こっているのでしょう?

A、後継者が不足しているということですね。当初スタートした時は、60代、70代中心のメンバーが多かったのですが、

  夢楽も今年で9年目。当時のメンバーが80歳を超えるなどすると、やはり同じようにというわけにはいかない。

  結果として今まで少しずつ積み上げてきたものを持続できなくなってくる。人気のランチも徐々に日数を減らし、各種体験も含め、

  現在では完全予約制でのみ受け入れるというスタイルにまで後退してきています。

  ただ、最初に商業型施設という形態を選択しなかったことが幸いして、自分達のやれる範囲で継続することはできています。

  無理をせず、身の丈に合った運営をするという方針を持ってきたことが持続へと繋がっているという感じですね。

  それはみくりの運営にも共通しています。

 

Q、コミュニティーを維持するということは、簡単なようでいて非常に難しいですね。利益追求という価値観だけでは測れないもの、

  それは私たちの勧めるエシカルについても当てはまると思います。こういった地域のコミュニティーを維持していく上でのポイントは

  どうお考えですか?

A、大切なことは私達がやりたいことは何か?お客様に感じて欲しいことは何か?を見極めることだと思います。

  集客や利益確保を急ぐためにその目的を見失わないようにするということ。その姿勢が、お金をかけすぎず、あるものを

  そのまま資源化して利用するということに繋がっていきます。それが結果として夢楽やみくりのコンセプトにも

  当てはまったということではないでしょうか?

 

Q、環境だけでなく、生活やビジネスそのものにも必要以上の負荷をかけないという姿勢が持続可能性に繋がるというという

  言い方もできますね。

A、そうですね。負荷をかけると必ずどこかにほころびが出ます。仲間同士がくつろげる場所。

  少人数でゆったりとした自然に親しんでもらうこと。これが一番私たちの求めるものなのだということを忘れずに、

  今後も継続していけたらと思っています。

No.7 まちかど博物館『竹茗舎』渡邊幸宏氏 インタビュー


渡邉 幸宏(わたなべ ゆきひろ)氏0

まちかど博物館『竹茗舎』館長/ちっちょ夢くらぶ 会長/国束山麓『吉兆窯』代表

 

●プロフィール●

玉城町に生まれ、後に転居した斎宮で竹の魅力を知り、以後収集を始める。

竹炭・竹酢作りなど、竹材活用に取り組みながら、平成21年11月、まちかど博物館『竹茗舎』を設立。常時500点以上の竹製品を展示する他、竹を通じた自然保護活動にも取り組む。


Q、大変な数の竹製品コレクションですね。渡辺さんが運営されている、まちかど博物館「竹茗舎」を始められたきっかけは?

A、子どもの頃、家庭の事情で玉城町から明和町に転居しましたが、その頃教師から「平安時代、京の都に対してこの辺りは

  竹の都と呼ばれていたのだよ」と教わったことから竹に興味を持ち始めました。  

  竹製品の収集を本格的に始めたのは今から40数年前、25歳の頃です。国内はもちろん海外からも様々な竹製品を収集し、

  現在では1000点を超える品物が竹茗舎に集められています。

  

Q、渡辺さんにとって竹の魅力とは?

A、なんといってもその多彩さでしょうね。一口に竹といっても、竹、笹、海外のバンブーを含めると、その数は1120種類を数えると

  言われています。古代から竹は生活に密着し、食用としてはもちろん、生活雑貨、楽器や茶道具や工芸品まで幅広く利用されて

  きました。竹製品にもそれぞれ時代に応じた個性や技術があり、職人が施した細工の繊細さには何度となく驚かされています。

  藤堂藩の竹職人が作った籠などは、二百年以上たった現在でも全く傷んでいない芸術品とも呼べる美しさをもった逸品です。

 

Q、古代から日本の文化と密接な関わりを持ち続けてきた竹ですが、近年竹林に異変が起こっていると伺いました。

  どういうことでしょうか?

A、日本に現生していた竹はもともと真竹(まだけ)や女竹(めだけ)などが多かったのですが、より大きなタケノコなどを取ることが目的で、

  1728年に中国から琉球王朝に孟宗竹(もうそうだけ)が伝わりました。その後島津藩を通じて江戸に持ち込まれた孟宗竹は、

  瞬く間に広がっていきます。竹を使った産業が盛んな時代はそれでもよかったのですが、昭和30年代、石油製品による産業が

  発達するに連れ、徐々その需要が減少し、そのまま放置される、いわゆる放置竹林問題が起こっています。

  この問題を解決するためにも竹製品や食材としてのタケノコの魅力を発信していくことが必要ではないでしょうか。

  荒れた竹林を適度に整備し、その過程で出た材料を製品化して有効活用することは、

  自然との共生を目指す上で重要なことだと思います。

 

Q、「自然との共生」はエシカルという概念においても大切なテーマの一つですね。

  この問題を解決するため、現在はどのような取り組みが行われているのでしょうか?

A、現在大学などの機関により、竹を使ったバイオマス燃料の研究などが行われているようです。日本の気候風土に合った生産物を

  使用し、新しい技術を開発することは、枯渇する化石燃料の節約にもつながり、持続可能な社会を目指す上でも重要なことでは

  ないでしょうか。まず何よりも、多くの人々にこういった問題が現在起こっていることを知って頂き、

  限りある資源に目を向けてもらうことが必要でしょう。竹茗舎がそのきっかけになればと思います。

 

Q、竹製品の展示を通して、その背景にあるストーリーを知ってもらうということは大切なエシカルですね。

  渡邊さんは今後竹茗舎をどのような形にしていきたいですか?

A、やはり子ども達にもっともっと竹の魅力を知ってもらい、次の世代に引き継いでいけるような場所にしたいですね。

  現在は斎宮小学校の4年生の総合的な学習での竹林の間伐体験などを通じて、竹について知ってもらうよう取り組んでいます。

  その中の例え何人かでも竹に興味を持ってくれたらと願っています。

    その他竹茗舎では、地元斎宮で世界竹トンボ協会の主催する大会の誘致を地元の街づくり会に提案しています。

  文化や産業といったことももちろん大切ですが、昔はごく普通に行われていた遊びや、タケノコ採りなどの身近な所から、

  資源としての竹の魅力が、世代を超えて広く伝わっていけば何よりです。

  私たちの行う竹を使った取り組みを通して、家族や地域のつながりを生み出す場でありたいと考えています。

       

No.6 日印食品開発有限会社 代表取締役 金森篤子氏インタビュー


金森 篤子(かなもり あつこ)氏

『日印食品開発有限会社代表取締役/ボランティアサークル「日印こころの輪」会長/NPO法人 三重ダアマ・ヨガ道会理事長』

 

●プロフィール●

ダアマ・ヨガを体得し、40年以上実践、指導を行う中でヨガの考えでもある「息・食・浴・動」の「食」を忙しい現代日本でもっと手軽に楽しめるようにと日印食品開発有限会社を設立。

14、5年前から、レトルトカレー「マハラジャのだいどころ」シリーズを開発し全国に届けている。現在、四日市市を中心に18のヨガ教室で講師を務める。


Q、日印商品開発有限会社さんは「マハラジャのだいどころ」というカレーを販売していますが、

  本格カレーを作り、販売するようになったきっかけは?

A、20年ほど前にヨガがきっかけで、インドへ行きました。その時に感じたのは、水が少なく、厳しい生活を送っているインドの人達が、

  いったいどんな食べ物を食べているのか気になり、尋ねてみると、スパイスをふんだんに使ったタリーでした。

  タリーとは、日本人が思っているカレーではなく、香辛料をたくさん使い調理された食べ物のこと。

  カレーを毎食食べているわけではなく、日本人が伝統的な調味料である醤油や味噌を使った料理を食べているのと同じなんです。

  厳しい生活を送る人が多いインドのために、何か自分にできないかと考えました。

  そして思いついたのが、インドから直輸入でスパイスを仕入れ、日本でカレーとして安心・安全の料理を作り食べてもらうことでした。

  それから、ちいさな力ではありますが、インドからスパイスを仕入れています。

 

Q、マハラジャのだいどころのカレーは何種類のスパイスを使われていますか?

A、ウコン・コリアンダー・クミン・ガラムマサラなど、40種類以上のスパイスを私(代表自ら)が配合して作っています。

  というのも、インドには6回ほど訪れ、スパイスの調合も本場の方法を学んできているからです。

  インドの伝統的な調理方法である、自然に存在する食材しか使わないカレー作り。私はそういった方法しか知らないのです。

 

Q、“からだめざめるカレー”と書かれていますが、どういったことからこの名前がついているのですか?

A、スパイスにはそれぞれ、胃や肝臓などに優しいとされる効能があります。薬膳や漢方薬と似た考え方ですよ。

  体に良いとされる食べ物を、毎日でも美味しく食べられるように調理されたのがカレーです。

 

Q、金森さんのマハラジャのカレーへのこだわりは?

A、出来るだけ三重県産の材料を使い、カレーもナンも作っています。野菜は、三重県産の無農薬、低農薬のものを顔の見える

  農家さんから直接仕入れています。ナンの材料である小麦粉は、四日市・鈴鹿で栽培されたニシノカオリを使っています。

  地元のものを使い、地産地消を薦めることで、運搬に使うCO2を削減したりと、食べる人にも、地球の環境にも

  優しく出来る商品作りをしています。また、マハラジャのカレーには小麦もラード等の動物由来の油も使っていません。

  ですので、カレーの皿を水で洗えるんです!一度試してみてくださいね。カレーを食べた後のお皿がキュッキュッていいますよ。

 

Q、「エシカル」という言葉がきっかけに出会わせていただきましたが、金森さんが今後伝えていきたいことは?

A、「食」は「人」に「良」と書きます。人にとってとても身近である、「食べる」ということ。そのことを通じて、安心・安全な食の大切さや、

  地産地消の素晴らしさを楽しく、美味しく伝えていきたいです。子どもや孫たちに、安心して食べられるものを作ってあげたいですね。

  だから、地元でお米や小麦を作る農家さんなど生産者の顔の見える食材を使い、これからも商品を開発していきたいと思っています。

  食などの身近にある、本物、イイモノものを紹介して、エシカルが伝えられると良いですね。

No.5 子どもの本屋こぴすくらぶ 茅谷千恵子氏インタビュー


 茅谷 千恵子(かやたに ちえこ)氏

『子どもの本屋 こぴすくらぶ店主/NPO法人NIED・国際理解教育センター

研究員・ファシリテーター』

●プロフィール●

1955年四日市市に生まれる。短大卒業後、大学通信課程を経て保育士となる。

1997年、保育士退職後、松阪市嬉野に「子どもの本屋 こぴすくらぶ」開店。現在に至る。

 

「子どもの本屋 こぴすくらぶ」

〒515-2322 三重県松阪市嬉野須賀町1107-42

TEL/FAX 0598-42-8135


Q、茅谷さんが環境や社会問題に取り組むようになったきっかけは?

A、私は四日市の出身で、中学校の時に公害が問題となっていました。ただ、その頃は同窓生のお母さんが公害病でなくなり、

     かわいそうと思っただけでした。今思うともっと他にできることがあったのにと悔しい気持ちですね。

  その後私は一冊の本に出会いました。それがレイチェル・カーソンの(※1)「センス・オブ・ワンダー」です。

     彼女の本は何冊か読んでいましたが、これまでの文体とは異なり、非常に分かり易く問題提起がされています。

    (実際にセンス・オブ・ワンダーをお持ちいただきました)

 

Q、「沈黙の春」で環境問題への問題提起を行い、社会に対して大きな影響を

      与えたレイチェル・カーソンの著書ですね。その「センス・オブ・ワンダー」が茅谷さんに与えた影響についてもう少し詳しくお聞かせ頂けますか?

A、二十歳の頃、ただ目の前にある情報だけを受け取るのでなく、アンテナを張り自ら真実はどこにあるのかを考えなければと

     思うにいたった有吉佐和子の『複合汚染』カーソンの『沈黙の春』。環境保護運動のきっかけをつくった海洋生物学者の彼女の死後に出版された

     『センス・オブ・ワンダー』(当時祐学社刊)を読んで、子どものころから自然と関わり、感性を磨かなければ、

    そして、その自然が素晴らしいと神秘と畏敬の念をもたなければ、自ら、それを大切にしようと行動する人になることが難しいのではないかと気づきました。

    1995年、レイチェル・カーソンのスタディーツアー(アメリカ)に参加し、その思いを一層強くしました。

 

Q、茅谷さんはNPO法人NIEDなどを通じて、国際理解教育にも取り組んでいらっしゃいますが、今の子どもたちにとってどういったことが大切でしょう?

A、「科学技術を市民レベルでコントロールできる人を育てる教育」が重要なの ではないでしょうか?

   それには、体験を通して、自分の頭でわかること。例えばダムや堤防を作る場合、子どものころ泥んこ遊びをしながら、実際に水はどうやって流れ、

     どんな性質があるのかを体感した人と、そういった遊びをせず、机上のデータで結論を出す人とではやはり大きく異なる結果につながるのでは

     ないかと思います。ただ、昔は子ども達が自由に外で遊べた環境も、交通事情の変化など、人為的に作り出された危険によって、

  今ではそれが難しくなっているのは問題だと思います。

 

Q、そのような環境の中で、子ども達と社会とのコミュニケーションを生み出す場として活用されている「こぴすくらぶ」。

  将来的にはどのような場所にしていきたいですか?

A、ここには「環境」や「社会」をより良くしようという意識を持った人が集まってくるようになってきています。

  将来「こぴすくらぶ」を利用していた子どもが世の中を考える「核」となり、より良い価値観を生み出す大人に育ってくれたらと思っています。

  本には物語が書かれていますが、本そのものや、一つひとつの商品にも様々な物語があります。

  ここに来る子どもたちには、それを知ったうえで、自分で考えて物を選択できる子になって欲しいですね。買い物が世界を変えるのです。

 

Q、「買い物が世界を変える」という力強いお言葉を頂きました。そのことについてもう少し詳しくお話し頂けますか?

A、グローバル化が進み、身の回りには数々の世界中からきた製品があふれています。

   私は毎日のようにコーヒーを飲み楽しみますが、例えばそのコーヒーが、貧しさゆえ学校にいかず過酷な労働を強いられている子どもの労働によるもの、

  沢山の農薬でその土地を汚染し、そこに住む人々を苦しめているものだとしたら、心が痛みます。

   誰もがその恩恵を一方で受けていながら、たとえば「安さ」の裏側にある、このような人権と環境の危機について、想像力が働かないとしたら、

  そして、そのことは私たちの暮らしと大きく関わっているのだということを考えないとしたら、平和な社会は望めません。

  社会の形や経済は私たちのニーズと無関係ではありませんね。多くの人が求めるから作られる。みんなが水筒を持ち歩けば、

  ペットボトルのお茶はなくなるように。私たち一人ひとりの選択が未来を形作っているのです。

  私たちが日々選ぶものについて、自覚的になり、より良い選択ができる人を増やしていけば世界を変えることだって可能なのです。

 

Q、「より良い選択」という観点は、人として正しい消費を生み出す「エシカル」にもつながる考え方ではないかと思います。

  「エシカル」について、茅谷さんのお考えをお聞かせください。

A、結局は価値観の問題だと思います。私たちが何を大切にし、どんな未来を望むかということです。

  経済や効率主義に振り回されず、丁寧に日々の暮らしを営むことを楽しむ。けれども、私が二十歳までそんなことは考えなかったのは、

  何もそのような教育を家庭や学校、地域で受けなかったということです。日本は人権意識が低いといわれています。

  やはり最終的には、教育のあり方に関わると思っています。活動を通じて、より良い選択のできる場や人を増やしていきたいと思います。

   本を買いに来る子どもたちもフェアトレード商品を目にし、買い物することで少しずつ意識してくれます。今年は、店で綿の栽培をしています。

  綿のプランテーションの問題とオーガニックコットンについて学んでほしいからです。店を利用してくれる文化意識の高い親御さんたちの働きかけもあり、

  きっとこの子たちは将来エシカルコンシューマーになるだろうと希望を膨らませています。

 

(※1)レイチェル・カーソン(1907生- 1964没)は、1960年代に環境問題を告発した、アメリカの生物学者。農薬で利用されている化学物質の危険性を取り上げた著書『沈黙の春』(Silent Spring)は、後のアースディや1972年の国連人間環境会議のきっかけとなるなど、世界的に大きな反響を呼んだ。

No.4 山本建築 山本吉紀氏インタビュー


山本 吉紀(やまもと よしき)氏『大工/インテリアコーディネーター』

●プロフィール●

山本建築インテリアコーディネーター。30歳まで飲食業界で働いた後、心機一転建築業界に参入。

父、兄に師事し、大工見習いとして修練を積む。調理師免許を保有し、趣味はパン作りや料理、カフェめぐりなど。素直で少しの遊び心を活かした家づくりを目指す。

 

山本建築:三重県松阪市飯南町粥見59-2

       TEL/FAX 0598-32-2402

       http://www.yamamotokenchiku.net 

Q、飲食業界から大工に転身と思い切った決断をされた山本さんですが、どういった思いで転身を決意さ れたのですか?

A、元々自然が好きだったということに尽きると思います。子供のころから自然に囲まれて育ったこともあり、

  自然の素材を使った仕事がしたいという思いが強かったですね。飲食店での仕事は好きだったのですが、「自然」を感じることは難しい環境でした。

  5年前子供が生まれたのをきっかけに、自然の中での仕事をしようと、家業でもある大工への転身を決意しました。

 

Q、「家づくり」と自然の関わりについてどのようにお考えなのか、もう少具体的に教えていただけますか?

A、「家」その中でも特に昔ながらの木造建築は自然と深く繋がっています。山本建築では昔ながらの在来工法(柱と梁を組んで建てる伝統的な建築技術)で

  家づくりを行っています。材料は国産の木材を使用し、昔ながらの技術を使って建てる。例えば墨付けなどの作業は、現在はコンピューターを使って

  行うこともできますが、やはり一つひとつの木のクセにより丁寧に対応するには手 作業の方が優れています。

  あえて近代技術を否定するわけではなく、自然のままの素材の良さを最大限に引き出そうすると手仕事に繋がって行くという感覚ですね。

  それを丁寧に守ることが、安全、安心、長持ちの家づくりに結び付いていくのではないでしょうか?

 

Q、昔ながらの技術を埋もれさせずに伝えていくことも大切なエシカルの一つですよね。 山本様は「エシカル」という言葉を御存じでしたか?

A、図書館でエシカル募集のパンフレットを見て初めて知りました。元々自然や伝統ということに興味はあったのですが、

  人や自然、環境に優しいものという言葉を目にして「これだ!」思いました。人にも環境にも優しい家づくりというのは自分達が目指しているテーマと  

  大いに共通するものだと。応募については父や兄に相談はせずに送ってから事後承諾ですね(笑)いつもそんな感じです。

 

Q、人にやさしい家づくりという言葉は非常に魅力的に響きますね。どのように体現していこうと考えてみえますか?

A、一番大事にしていることは、お客様、建築業界では施主さんと言いますが、施主さんと一緒になって家を作って行きたいということですね。

  いわゆる売り手、買い手の関係ではなく、共に建築していく大切なパートナーだと考えています。

  お客様のご要望は抽象的な物から具体的な物まで多岐にわたります。家にもよりますが、御要望を伺ってから建築を開始するまで

  半年から1年ほどかけてじっくりと施主さんと一緒にプランを立て、家づくりを進めていきます。

 

Q、お客様からはどのようなご要望があるのですか?

A、そうですね、例えば「家族と触れあいたい、繋がりたい」というものや、「お風呂を大きく」「みんなで料理がしたい」など様々ですね。

  中には工法までご自身で調べて相談される方もみえます。その全てを実現するのはなかなか難しいのでご相談しながら工程を進めていきます。

  例えば建築予定地に立派な庭が残っている。お話を伺ってみると、そこにはたくさんの思い出があることが分かったので、

  それを壊さず活かしてみたらという提案をさせて頂いたりしたこともあります。

 

Q、家というのは一生に一度の特別な買い物ですから思い入れも強いのですね。

A、御要望を全て実現するのは難しいのですが、その中でも少しでも理想に近いものを作りたいと思ってています。

  家の値段と言うのものはお客様自身の価値観で決まるものですから、ご予算の範囲内でどれだけの付加価値をつけられるかが大切だと思います。

  家が完成して御案内する際、覆ってあったシートを取った瞬間にお客様が 「わぁーっ」と感嘆の声を上げる時が最高の瞬間です。

 

Q、価値観と言うのは確かに大切ですね。私達の勧めるエシカルも、新しい「価値観」であるという言い方ができるのかもしれません。

A、山本建築にいらっしゃるお客様はやはり自然素材にこだわった方が多いんですよ。一緒に家づくりを進めながら、自然の価値を理解していただき、

  私達のことを理解していただくことで、出来上がった家に特別な価値観が生まれるのだと思います。

 

Q、山本様ご自身どのような姿を目指していこうと思っていらっしゃいますか?

A、ポップな大工さんになりたいですね(笑)いわゆる頑固一徹という職人肌ではなく、柔らかみと暖かさを持った「自然体」の家づくりを心掛けて

 いきたいです。素材の良さを生かした正直で素直な建築をこれからも行っていきたいと思っています。

 

No.3 エシカル・ペネロープ(株)代表 「原田 さとみ」氏インタビュー


原田 さとみ(はらだ さとみ)氏

『タレント/エシカル・ペネロープ(株)代表取締役/JICA中部オフィシャル・サポーター/エシカルなごや推進委員会 世話人』

●プロフィール●

1987年モデルデビュー後、東海圏を中心にタレントとして活動。パリ留学を経て、1999年洋服のセレクトショップを栄にて経営。2000年出産。2010年フェアトレード・エシカル商品の輸入・販売・推進のためのエシカル・ペネロープ(株)を設立。2011 年名古屋テレビ塔1階にフェアトレード&エシカル・ファッションのセレクトショップ「エシカル・ペネロープ TV TOWER」オープン。 環境にも人にも社会にも配慮した持続可能なエシカル・ファッションの普及活動を中心に、フェアトレード推進にも取り組む。エシカル&フェアトレードの品々で途上国をつなげる事業を展開中。

http://satomiharada.com/


Q、エシカルに出合ったきっかけは? 

A、子どもができ、母になった頃、新聞でチョコレートの原料であるカカオの話を読みました。

  カカオの原産地の多くは途上国。カカオ農園では、貧しさから子どもたちまで強制労働を強いられています。カカオが甘いチョコレートになる事も知らず

  劣悪な労働環境の中で働く子どもたち。

  私も子を持つ母として、この恐ろしい真実を知り、私はこうした背景も知らずに美味しい、幸せな思いをしていたのだと気が付き心が震えました。

  そんな犠牲となる子どもたちを救うためにフェアトレードのチョコレートがあることを知り、世界中の子ども達みんなが笑顔になることを願って、

  何かしたい!そんな思いで、このチョコレートをきっかけに私のフェアトレード推進活動が始まりました。私のエシカルはフェアトレードがスタートなのです。

 

Q、原田さんにとって「エシカル」とは?

A、エシカルとは“思いやり”です。

   私達の幸せの裏側で、弱者への搾取や地球環境破壊など、誰かや何かが犠牲になっているとしたら、本当の幸せではないですよね。

  人も自然も、地球上すべての命がハッピーであるよう、思いやる心が大切です。

  エシカルは自分優先ではなく、他人や自然すべての命を思いやり、支え合い、つながっているという概念です。

 

Q、名古屋でフェアトレード&エシカル・ファッションのセレクトショップ「ethical penelope(エシカル・ペネロープ)」を展開されていますが、

  「エシカル・ファッション」とは?

A、自然環境に負荷をかけないオーガニック素材や天然・リサイクル素材を使用し、人道的配慮のある公正な貿易のフェアトレードであり、

  地域の伝統・技術を後世に残す努力をしながらクリエイトされるファッションのことを“エシカル・ファッション”といいます。

   ◆環境に負荷の少ないオーガニック・天然素材やリサイクル素材を使用している

   ◆正しい労働条件で公正な賃金のフェアトレードである

   ◆地域の伝統技術・製法を継承する努力をしている

   ◆魅力的なデザインである

  ファッションには、お客様に喜んでいただける商品を提供するという役割があって、質とデザインが時代に合っていて「ほしい!」と思ってもらえる商品を

  クリエイトし販売することが大事。カット(のエゴにならないように、そして、)貧困・紛争・災害などで困っている世界の人の問題を他人事ではなく

  自分事ととらえ、身近なファッションから“デザイン力”で解決することを目指しています。

 

Q、エシカル・ぺネロープに並んでいる商品は、原田さん自身が海外の現地へ出向き、選んでこられるそうですね。

  フェアトレード商品を見に行く理由、そして、現地へ行って感じたことは?

A、実際現地へ行って感じることは、自然を大切にしている彼らの暮らしからは、私たちは学ぶことだらけだということ。

  未来へのヒントがたくさん詰まっています。自然の恵みの中で暮らす、生産者の方々はとても自然を大切にし、

  民族の伝統に誇りを持ち、過去から未来へと受け継いでいます。 

  彼らの手仕事は誇り高く、素晴らしい工芸品です。天然の素材で、天然の染料で、丁寧な手作業で・・・

  これは、先進国の最先端のファッション・フリークのあこがれの世界です。ですが、それらの品々は世界とうまく繋がっていない場合があります。

  そんな地元の伝統工芸品に、先進国のクリエイター達が、思いやりのデザインやブランディングのサポートをして、世界へ販路を広げるのが、

  エシカル・ファッションの役目です。

  エシカルやフェアトレードは「社会貢献だから」と1回買うだけで終わらせるのではなく、また次も「ほしい!」思ってファンを増やし、

  継続して買っていただけることで、持続可能となります。その地域の魅力を活かし伝統の手仕事を残すことは、生産者さんの誇りにつながり、

  そして自然環境を守ることにも繋がります。

  そこで出会う人々の、素朴で優しい心と助け合う慎ましやかな暮らしからは、私たちは大事なことを学びたいと感じます。

 

No.2 株式会社デルフィス 「細谷 琢」氏インタビュー


細田 琢(ほそだ たく)氏

●プロフィール●

 トヨタ自動車グループ100%出資のマーケティング会社である株式会社デルフィス・エシカルプロジェクト リーダー。

エシカルに特化した調査研究や、エシカルビジネスのコンサルティングに従事し、2012年春には編著「まだエシカルを知らないあなたへ」を出版。

http://www.delphys.co.jp/ethical/


Q、トヨタ自動車グループ100%出資会社であるデルフィスが、エシカルを推進していくきっかけは?

A、1997年のプリウス発売以降、環境意識の高まりと同時に、社会のために役立ちたいという風潮を感じ始めました。

    初代プリウスは「エコ」に関心のある、もしくはハイブリッド車そのものに興味のあるメカ好きの客層がメインでした。

  2000年代後半になると、従来の客層に加え、購入動機として「社会に貢献したいから買った」と答えるお客様が増え、 

  社会に配慮する意識の高まりを実感したことが、私達にとっては新鮮な驚きでした。   

  その意識が今で言う「エシカル」という観念だと知ったのは、2008年に発行された男性誌 「PEN」のロンドン特集で使用された

  「脚光を浴びるエシカル革命とは何か?」をスタッフが見つけてきたのが最初でした。

 

Q、ヨーロッパでは一般層にまで広がりを見せるエシカルの特徴とは?

A、エシカル発祥の地と言われるイギリスでは、「社会貢献」することが普通という意識が浸透しています。

  それに対して、日本においてのエシカルは、いわゆる「それって人としてどうなの?」というような「人としての道徳観」が

  ベースとなっている感じがします。イギリスの公的な国際文化交流機関「ブリテッシュカウンシル」の方は、 

  イギリスの騎士道精神と武士道は合い通ずるところがあり、それで両国共エシカルが馴染みやすいのではないかと

  仰ってました。アメリカのマーケティング企業が開発した「ロハス」には「自分にとって≒利己的」な部分を多く感じますが、

  「エシカル」は「利己」に加えて「利他」的な部分も強く持っており、正しい消費行動を促す考え方であると言えるのではないでしょうか。

  リーマンショックの後、ようやくアメリカでも個人主義からの揺り戻しの動きが「スペンドシフト」 (※1)という形となり、

  広がりを見せています。

 

Q、エシカルの東京での認知度は?

A、 まだまだ一般的ではないですね。デルフィスの調査によると、「エシカル」という言葉自体の日本での認知度は11%。

  認知非認知に関係なく、実際に「エシカル」を生活の中で実践しているのはその3割程度というデータが出ています。

  我々の目標として、特に若年層をターゲットに、何らかのインパクトを起こしたいと思っており、

  そのためには商品の裏側に目をやる「ストーリー重視」の価値観を生み出し、浸透させる必要があると考えています。

 

Q、エシカルの広がりについては、どうお考えですか?

A、今後「エシカル」という概念は特に若者に広がっていくのではないかと思っています。 例えば先程も上げたプリウスですが、

  いかに燃費が良いとはいえ、同クラスの乗用車との価格差を埋めるほどのコストパフォーマンスではありません。

   プリウスの広がりの背景には、ハイブリッドがもたらす新しい価値観が生み出され、それが社会貢献や

  環境意識といったものなのではないかと考えられます。現在その意識はまだ「点」の存在ですが、

  それを「面」とするキーワードが「エシカル」であり、実際に「面」となった時にはもう「エシカル」という言葉を使わなくても

  良くなるほどその意識は広がっていると言えるでしょう。現在若者の間で「地方志向」が高まりを見せています。

  例えば「豊かさ」という点においては、地方のほうが東京よりも勝っているということに若者達が気付き始めています。

  彼らの親の世代は地方のコミュニティーを脱却して行きましたが、その子供の世代は逆にコミュニティーを求めて地方へと帰っていく。

  この現象により近い将来ビジネスモデルが変化する可能性があります。

 

Q、デルフィスプロジェクトとしての今後の抱負をお聞かせください 

A、私達の理想は「エシカル」というテーマでソーシャルインパクトを起こすこと。人気アニメとコラボした

  節電プロジェクト「ヤシマ作戦」※2や、シェアハウスの広まりなど、少しずつですがいろいろな現象が起こっている。  

  我々としては「エシカル」をその中に入れたいと思っていますし、「いける」という手応えを実際に感じています。

 

 

※1  スペンドシフト:災害などにより、消費者の意識が自分の属する地域やコミュニティーをより意識したものに変化していくという

   考え方や現象。

※2  ヤシマ作戦:アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する、超長距離射撃のために日本中から電力を集めた作戦になぞらえた

         節電協力プロジェクト。版権元の賛同を経て、東日本大震災翌日以降ツイッターを中心に広がった。

No.1 ジャーナリスト 「嶋矢 志郎」氏インタビュー


嶋矢 志郎(しまや しろう)氏 『ジャーナリスト/評論家』

 

●プロフィール●

東京都生まれ。1961年(昭和36年)年早稲田大学政経学部卒業後、日本経済新聞社(記者職)に入社。論説副主幹/論説委員を最後に大学教授に転じ、芝浦工業大学大学院工学マネジメント研究科教授等、財団法人地球環境財団理事長等を経て、現在に至る。

新聞・雑誌への寄稿、TV・ラジオなどにレギュラー出演。専門は地球社会論、現代文明論、環境共生論、環境経営論、CSR論。著書・論文多数。


Q、約半世紀にわたって環境問題と向き合ってきた嶋矢様ですが、そのきっかけは何だったのでしょう?

A、私が記者駆け出しの時代の1961年、当時、日本は高度経済成長過程で、その最前線である全国各地のコンビナートを取材しました。

  それが、きっかけで、光に対する陰の部分で、四日市ぜんそくをはじめ、新潟のイタイイタイ病など、いわゆる4大公害病問題に関わるなど、

  その後、環境問題から眼が離せなくなり、積極的に向き合い始めました。

 

Q、嶋矢様にとって「エシカル」とは?

A、エシカルはもともと倫理、道徳を表す「Ethic」の形容詞 ですが、本来の「理性的」で、3人称の他律的な側面よりもより「感性」的であり、

  「気付き」や「心遣い」をはじめ、1人称の自律的な「良 心」(conscience) 的な観念と言えるのではないでしょうか。

  人間の主体的な欲望をベースにした行動指針である資本主義と、他者からの命令をベースにした行動指針である社会主義が対立した20世紀を終え、

  21世紀の現在は資本主義が世界の主流となっていますが、そのベースである「欲望」には尽きるところがなく、「もっともっと病」とでもいう新たな問題を

  引き起こしている。地球環境問題は、そのあだ花です。   これからの未来には人間の行動を抑制、制御する第三の行動指針が必要です。

  そのベースとなるのが「良心」であり、それを基本にした行動指針が「エシカル」であると考えています。

 

Q、日本においてのエシカルの特徴とは?

A、 3.11以降、「心遣い」をはじめ、急速に「社会貢献」や「地域活性化」という動きが活発化しきましたが、 エシカルの大前提は 「自然との融合」です。

  古来より「八百万の神」 という多神教の世界観、あるいは融合型の自然観をよしとして、崇めてきた日本人には「自然との融合」という感性は、

  すでにDNA化しています。 しかしながら、現代社会においては、子供の理科離れを始めとして、そのDNAが劣化してきており、その責任は子供ではなく、

  我々大人にあると言えます。そのことを踏まえ、「自然は最大の教師である」 という考え方に今一度立ち返り、「水と緑と土」を大切にする価値観を

  重視するエシカルマインドが必要です。

 

Q、私たちの活動する三重県を始め「エシカル」が地方で広がる上で必要なことは?

A、三重県には松阪牛をはじめ、全国区的な、独自の「三重ブランド」商品がたくさんあります。そのブ ランド化された 商品を「エシカル」という視点と

  問題意識で1つひとつ見直していくことが大切ではないでしょうか。「エシカル」を促進する先兵として生産者と消費者の双方に何らかのインセンティ ブを

  与え、特に地元企業などがエシカルマインドを身に付けることで、参加意欲を盛り上げていくような 仕掛けなり、仕組みのシステムを構築することが

  大事ではないでしょうか?

 

Q、今後、エシカルを推進していくポイントは?

A、エシカルという新しい概念、普遍性の高いエシカルライフを広めるうえで、私は3つの目標をあげています。

  それは、

   ①  エコ認識を「人間本位の浅いエコ」から「生態系(いのち)本位の深いエコ」へ切り換えていくこと。

   ②  エコ気触(かぶ)れの近代物質文明の陰で、失ってきたもの、例えば感性の劣化をはじめ、人間性の

         喪失など、いわゆる「近代化の忘れもの」を取り戻していくこと。

   ③  私たち一人ひとりが生活者としても、生産者としても、さらには地域住民や地球市民としても、すべての営み、すべてのライフスタイルを、

     それぞれの地域で独自のエシカル指向へ切り替えて、日常の暮らし方、生き方をエシカルライフに徹していくこと。

  もともと日本人がDNA化してきた融合型の自然観を基に、この三つの目標を達成するエシカルライフの日本モデルを構築して、

  地球社会全体をエシカルコミュニティにしていくため、世界に発信していくことです。地域それぞれが発信していくことです。

  皆さんも是非、三重モデルを構築して、国内外へ発信することです。

 

  かつてトルストイは「他人の不幸の上に自分の幸せを築いてはならない。他人の幸せの中にこそ自分の幸せがある」という言葉を残しました。

  エコやロハスといった人間優先の、ある意味「利己的」な「シャローエコロジー」ではない、 「いのち優先」の他人や社会も併せて複合的に利する

  「利他的」な深いエコ、「ディープエコロジー」 こそがエシカルの本質であり、今求められているエシカルライフなのです。